大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(ツ)1号 判決

上告人 控訴人・原告 渡辺統久造

訴訟代理人 中野峯夫

被上告人 被控訴人・被告 永瀬晃

主文

本件上告を棄却する。

上告費用を上告人の負担とする。

理由

上告代理人は「原判決を破毀する。本件を東京地方裁判所え差戻す。」との判決を求め、その理由として、別紙上告理由書記載のとおり主張した。

上告理由第一点に対する判断。

上告人が原審において、上告人の主張のように主張し、その立証として甲第一号証の一、二を提出し、右甲第一号証の一にはその主張のような記載のあることはその主張のとおりであるが、右甲第一号証の一、二は訴外浦虎雄宛に出された書面であり、右書証と証人浦虎雄の証言によつても上告人主張のような事実は必ずしも認めなければならないものでもない。

かつ原判決はその事実の部において上告人が甲第一号証の一、二を提出し、証人浦虎雄の証言を援用した旨を記載し、その理由の部において上告人の主張を認めるに足る証明がないと判示しているのであるから、甲第一号証の一、二と証人浦虎雄の証言を排斥したのであるといわなければならない。故に、この点に関する上告人の主張は理由がない。

上告理由第二点に対する判断。

上告人主張の本件家屋の明渡請求が権利の濫用でないことについては原判決が判示しているところであり、その判示している理由は正当であつて、上告人主張のように、権利の濫用であるとはとうてい解することができない。故に、上告人の主張は、結局独自の見解に立つて、原判決を非難しているに帰するから、採用することはできない。

上告理由第三点に対する判断。

上告人が原審において、被上告人の本件強制執行が権利の濫用となる事由の一として、所論(一)のような事実を主張していることは、本件記録によつて窺い得られるが、原判文を通読すれば、原判決は、仮りに所論(一)のような事実があるとしても、本件債務名義にもとずく強制執行を以て権利の濫用ということはできないと、判示していることが、明瞭であるから、原判決には所論前段でいうような判断遺脱の違法はない。また上告人が原審で、必要費、有益費の償還請求権の成立を主張したのは、反訴としてこれらの費用の償還を請求するためではなく、留置権成立の要件として主張したのにすぎないことは本件記録に徴して明かである。したがつて、原判決が上告人の本件建物に対する占有が不法行為によるものであることを認定し、この点において上告人主張の留置権が成立する余地のないことを判示していること、原判文上明瞭であるから、原判決が所論(二)のような必要費、有益費の償還請求権の成否についての判断を省略したのは当然であつて、これを目して判断遺脱の違法あるものということはできない。論旨は原判文を正解しないで、いたずらに原判決を非難するにすぎないものであつて、到底採用することができない。

上告理由第四点に対する判断。

原判決は証拠を挙示し、これによつて、上告人が本件建物の所有者たる被上告人に対抗できる権原なくしてこれを占有し、かつ少くとも右不法占有について上告人に過失があつたことを認定判示したことは原判文上明かであるから、原判決が証拠によらないで右の認定判示をしたとの論旨前段の所論は到底採用することができない。次に民法第二九五条第二項でいう「占有が不法行為に因りて始まりたる場合」とは、占有取得行為自体が占有の侵奪とか、詐欺、強迫とかによる場合にかぎらず、留置権によつて担保せられる債権の債務者に対抗し得る占有の権原がなく、しかも、これを知り又は過失により知らずして占有を始めた場合をも包含するものと解するのが相当である。蓋し後の場合も前の場合と同様、占有者に留置権を認めて、その者の債権を特別に保護しなければならないなんらの理由がないからである。そして上告人が原審で主張した留置権は被上告人に対する費用償還請求権を被担保債権とするものであること記録上明白であり、本件建物に対する上告人の占有取得が上記原判示のとおりであるから、前示民法の条項によつて、上告人は被上告人に対し留置権を以て本件建物の引渡を拒むことができないものといわなければならない。したがつて結局右と同趣旨に出た原判決は正当であり、論旨に縷述するところは右と異る上告人独自の見解によつて、原判決を非難するに帰するものであるから、本論旨もまた採用することができない。

よつて本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条によつて本件上告を棄却し、上告審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条を適用し、主文のように判決する。

(裁判長判事 柳川昌勝 判事 村松俊夫 判事 中村匡三)

上告理由

第一点原判決には争点に関する判断を遺脱した違法があるから、民事訴訟法第三百九十五条第一項第六号に該当する法令違背あるものと思料する。

東京中野簡易裁判所昭和二十五年(ノ)第二〇号民事特別調停成立(昭和二十五年九月八日)の後、本件当事者間において右調停条項と異なる契約が成立し、上告人は被上告人が訴外浦虎雄の借家せる地域及びその後方に家屋を建ててそれに賃借居住する迄本件家屋に居住する旨の許諾を得たことを主張しその立証として甲第一号証の一、二を提出したことは一件記録に徴し明白である。而して右書証に依れば「今回予て予定の通り改築しますから」「一時明渡返還して下さる様」と被上告人から右訴外人に通告せることを認むるに十分であり、これに証人浦虎雄、上告人本人の供述を綜合すれば前記上告人の主張を推認するに足るものと云はねばならない。

然るに原判決は右の点につき証拠判断をせず、争点についての判断を遺脱したものである。仮りに原判決が右上告人の主張を排斥した趣旨だとすれば、それは右証拠に反して事実を認定した違法あるに帰する筋合である。

第二点原判決は権利濫用を禁止した憲法及民法の規定に反する違法がある。

被上告人はその住居に充てる目的でなく、只単に多額の権利金を取つて本件家屋を有利に第三者に賃貸する手段として上告人に対して本件家屋明渡の強制執行を断行せんとする者である。反之、上告人は他に住むべき家屋なく、その営む不動産業の関係からも永年住み慣れた本件家屋に居住することが便宜であり、且つ誠意を披れきして被上告人に対して相当条件を以てする本件家屋の賃貸を懇請して居るのである。

被上告人が訴外菊地亭から転貸を理由としてその賃借家屋を引き上げてこれを有利に(三十万円の権利金を取つて)第三者(豆屋)に賃貸せる事実は以て被上告人が典型的権利濫用者たることを示すものである。

右は日本国憲法第十二条、第十三条、民法第一条の規定に違反すること明白である。

此の点に関する原判決は法令の違背あるものとして民事訴訟法第三百九十四条により破毀を免れないものと思料する。

第三点原判決は次の二点につき判断遺脱の違法があるから民事訴訟法第三百九十五条第一項第六号の法令違背ありと思料する。

(一) 上告人は本件家屋のため総計金三十二万八千円を支出して居る。本件強制執行の断行により上告人はこれを全部失うことになる。かくて本件強制執行の断行は上告人に理由なく右金三十二万八千円の損害を加えることとなるから、このことを承知しながら上告人が債務名義あることを奇貨として本件家屋の明渡を断行することは権利の濫用であると主張して居る(昭和二十八年十二月八日附準備書面第一末段三枚目裏面八行以下参照)。

(二) 又上告人は必要費、有益費の償還請求を主張して居る(昭和二十八年十二月八日附準備書面第二、第一段参照)。右主張と共に、之と併存的に、留置権の主張をして居る。原審は留置権の主張のみにつき判断して、右必要費、有益費の償還請求に関する主張に関する主張については何等の判断をしてない。

第四点留置権の主張に対する原判決は法律の適用解釈に付法令違背あるものとして民事訴訟法第三百九十四条により破毀を免れないものと思料する。

上告人が本件家屋につき支出した金員中所謂権利(賃借権又は占有権の譲渡金)を除いたものは「物の占有者が其物に関して生じたる債権」であるから、被上告人に対して留置権を行使することができる(民法二九五条一項)。此の留置権を排除することができるものは「占有が不法行為に因りて始りたる場合」に限らるるのである(同条二項)。此の場合本権が正権原に基くか否かは関係ない。専ら占有が不法行為に因り開始せる点を問題とするのである。「不法行為」とは「故意又は過失に因り他人の権利を侵害する行為」でなくてはならない(民法七〇九条)。原判決は何等の証拠によることなく。漫然と軽く「控訴人は所有者たる被控訴人に対抗し得べき権原なくして不法に前記家屋を占有し」と云い、「かつ少くとも右不法占有につき控訴人に過失がある」として居るのである。而かも之に引き続き「右認定を覆すに足る証明はない」と附けて居る。之れは「本権」と「占有権」を区別せず、且つ「占有」につき善意の推定あることを解せざるに出た立証責任の法則に反する不法不当な判決である。

本権につき正権原に基かない占有を俗に不法占有と云う。ここに云う「正権原」は本権としての正権原を意味する。借地人が土地を占有し、借家人が家屋を占有するのは「借地権-地上権又は賃借権」、借家権(賃借権)と云う本権に基く占有である。然るに転借人(賃貸人の承諾のない。従つて賃貸人に対抗のできない転借人)は地主又は家主との関係においては所謂不法占有者であるが転貸人に対しては不法占有者ではない。蓋し右転借人は地主(家主)に対して本権たる正権原がないから、所謂不法占有者であるが、占有自体は毫も不法でなく、転貸人から適法に占有の移転を受けた者であるから占有自体は不法でない。所有権に基く明渡請求は本権について云うのであつて、占有権について云うのではない。所有権者に対抗し得べき本権を有しない者は凡て所謂「不法占有者」である。要するに「本権としての正権原に基かない占有」を凡て所有権者に対して不法占有と云うのである。然るに留置権は占有権に附随する権利であつて本権には関係ない。而して「占有」は事実関係の上に認められる権利である。現実に「占有」と云う事実関係にあれば、一定の要件の下に、その上に権利を認めるのである。「時効」の制度と対比すれば容易に理解できる。法は結局において「現実」を規制する規範でなくてはならない。占有や時効は此の役割をつとめるものである。本権とは別に占有について権利関係を確定する必要ある所以である。此点に付民法二〇二条「占有ノ訴ハ本権ノ訴ト互ニ相妨クルコトナシ」、「占有ノ訴ハ本権ニ関スル理由ニ基キテ之ヲ裁判スルコトヲ得ス」はズバリその核心をついて表現をして居る。原判決は所有者たる被上告人に対抗し得べき本権(正権原)のないことから直ちに上告人の占有の不法性を断定して居る右民法第二百二条に違反して認定した違法あること極めて明白である。而して上告人は本件家屋が強制執行にかけられていることは全然知らないで占有の移転を受けたものである。上告人が不法侵入したものでなく、掠奪したものでもなく、平穏公然善意無過失に本件家屋を占有したのである。その占有は断じて不法行為に因つて始つたものではない。加之、占有者は「善意」占有の推定を受ける(民法一八六条)。又占有者は「占有物ノ上ニ行使スル権利ハ之ヲ適法ニ有スルモノト推定一せられる(民法一八八条)。上告人は横山光雄、吉田光子、満山吉郎等から借家権の譲渡を受けて本件家屋を占有したものであるから、賃借人として本件家屋を占有するものと推定される。これを覆すには被上告人において反証をあげて然らざることを証明する責任がある。換言すれば上告人が本件家屋を占有する権利(占有権)の不法性については被上告人に立証責任があるのである。然るに原判決は前述の如く、本権の不法性(正権原に基かない占有)から直ちに占有権の不法性を認定して居るのであるから、此の判断は右民法の規定に反するのみならず、民訴法上の立証責任に関する法則にも違背する不法且つ不当な判決である。右法令に違反する判断が判決の結果に影響を及ぼすべきは多言を用いない。

仍つて原判決を破毀する判決を求むる次第である。

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